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旧身延町内エリア
| 地図記号 凡例 |
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久遠寺縁の霊蹟です |
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久遠寺縁の霊蹟で、宿坊として宿泊できます |
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桜の見所です |
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紅葉の見所です |
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駐車場です。 |
◆旧身延町内◆
身延町は昭和30年(1955年)2月11日に身延・大河内・豊岡・下山の1町3村が合併し町制施行されました。その後2004年9月13日に下部町・中富町と合併し、現在の身延町になっています。
旧身延町とは、現身延町のうち、身延、大河内、豊岡、下山の4つの地区を指します。
◆身延町歴史◆
歴史とともに歩んできた身延。文永11年(1274年)、当時身延の地の地頭を勤めていました南部実長公(波木井実長公:八戸南部氏の祖であり、後に出家し日円聖人となりました)が佐渡の地での流刑を終えた日蓮聖人を招き、西谷に御草庵を構え、法華経の流布と弟子信徒の育成を行いました。弘安4年(1281年)に日蓮聖人により「身延山久遠寺」と名づけられた大坊が整備されました。ここから、歴史と振興の町身延が始まったとされます。
その後も久遠寺の発展と共に歩み続け、霊山聖地として今日まで発展を続けてきました。
日蓮宗に帰依された方も多く、水戸藩初代藩主水戸頼房公生母養珠院(お萬の方)縁の寺院(本遠寺)や伽藍、または初代加賀藩主前田利家公側室寿福院建立の伽藍(五重塔)等があります。
◆みのぶの地◆
身延の地は日蓮聖人にまつわる霊蹟が数多く残っています。中には日蓮聖人自らお手植えになられた銀杏、御祈願なされた霊蹟も残っており、中でも七面山敬慎院は場所はお隣の早川町ですが「身延町飛び地」となり、その影響力をうかがうことができます。
また、自然も多く残っており、緑は元より清く済んだ水でも知られております。この水を使い、様々な名物・美味が揃っており、幾多の旅人の舌を喜ばせています。
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